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藤原 延子(ふじわら の えんし/のぶこ、長和5年(1016年)- 嘉保2年6月15日(1095年7月19日))は平安時代中期の女性。右大臣・藤原頼宗の次女。母は藤原伊周の娘。後朱雀天皇の女御。麗景殿を局とし、麗景殿女御または高倉女御といわれた。 == 経歴 == 長久3年(1042年)3月26日、後朱雀天皇のもとに入内、女御となる。寛徳2年(1045年)1月、後朱雀天皇は譲位、2日後に崩御するが、延子は同年4月に正子内親王を産む。正子内親王は天喜6年(1058年)から延久元年(1069年)まで斎院となった。永承5年(1050年)1月5日従二位。延久5年(1073年)5月12日に落飾。嘉保2年(1095年)6月15日、80歳で薨去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「藤原延子 (藤原頼宗女)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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